ロサンゼルス・ドジャースのスプリングトレーニングに招待選手として参加していた、ブライアン・ジャイルズ外野手が引退を表明した。
キャンプではギャレット・アンダーソン外野手、ダグ・ミントケイビッチ内野手と左の代打の座を争っていたが、右ひざの悪化で今回の決断となったようだ。
ジャイルズは1989年のドラフトでクリーブランド・インディアンスに17巡目で指名され入団。1993年にダブルAで打率.327、出塁率.409と頭角を現した。1994・1995年にはトリプルAで3割を超える打率と3割9分を超えるを記録したが、当時のインディアンス外野陣はアルバート・ベル、ケニー・ロフトン、マニー・ラミレスを擁する強力布陣であったため、なかなか昇格できずにいた。
昇格後も完全にレギュラーの座を確保する状況には至らなかったが、1998年のオフにリリーフ左腕リカルド・リンコンとのトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍、才能を完全に開花させ、2000・2001年にはオールスターに選出されるなど、長打力と高い出塁率でリーグを代表する外野手となり、この頃からニューヨーク・ヤンキースのジョージ・スタインブレナーのウィッシュリスト(ほしい選手のリスト)の常連となった。
2003年に右ひざを怪我し、4年連続で35本以上放っていたHRが20本と落ち込んだ。また、この年の8月にはジェイソン・ベイ外野手、オリバー・ペレス投手+マイナー選手との交換で、地元サンディエゴ・パドレスへ移籍した。広いペトコパークに移ってからは、ホームでは打撃スタイルを変えていると公言していたが、ひざの悪化とともに成績は下降していた。
また2007年には弟のマーカス・ジャイルズ二塁手と共にプレーした。
「弟とともに目標としていたメジャーリーガーになる事が出来たし、ワールドシリーズにも出場できた※。シリーズでの経験は何事にも変えられない特別なもの。マイナーも含めると23年ほど野球をやってきたが、悔いはない」と語り、しばらくは9才と7才の2人の娘、妻とともにゆっくりしたいとの事。
※1997年対フロリダ・マーリンズ。ジャイルズは8打数4安打2打点、出塁率.750の成績。


